ブログ『日本の「ち・から」』とは?

ようこそ、お越し下さいました!!!
管理人を務めております「むろぴい」と申します。

むろぴい

こちらのブログ『日本の「ち・から」』は、私の座右の書
ある

 『日本の「ち・から」 友常貴仁[著] 三五館

を読んで、自分自身が感じたこと、そして実践してみたこと
の記事を集めてみようということで立ち上げました。

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「不昧因果(ふまいいんが)」

修行するというのは、
 「因果の法則を無視するとか超越する」
というものではない。


率直に、わからないものは「わからない」とし、人生をきっちり
させて決して「ごまかさない」だけのことである。

まさに『昧(くら)まさない』ということを知らなければならない
のである。

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大いなる「遺戒」

沢庵禅師

 《われに嗣法(しほう)の弟子なし

死んだ後まで私の名前を語り使うな。
自らの到達した境地には、だれも境涯を同じくできない。

自分は自分、汝(あなた)は汝である。

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「簡素」の哲学

千 利休

 「茶の湯とはただ湯をわかし茶を点(た)てて
  飲むばかりなることと知るべし


利休の心境は、きびしい修行に裏づけされた簡素の世界
である。無駄のない簡素には、真の美しさが宿る。

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戦わず勝つ道

宮本武蔵

人の一生は、勝つか負けるかである。

大勢に立ち向かって、少人数にて勝つこそ兵法の徳である。

不利が有利に勝つために兵法はある。
少数で、不利だからこそ兵法が必要なのだ。

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滅せぬもののあるべきか

織田信長

 人間五十年、
    下天の内をくらぶれば、
       夢 幻のごとくなり・・・・・・



「実は、この幸若舞、『敦盛』と申しますは・・・・・・」
「『敦盛』をを舞うとき、寂の音が聞こえてくるのです・・・・・・」
「源平合戦、平敦盛の最後の場面の・・・・・・」

敦盛』の伝えごとがはじまった。

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天才は知っていた

豊臣秀吉

 「馬上より三間先をみよ

政策は、機に臨んで、瞬時に実行できなければ役に立たない
のである。
その場その場の的確な判断と実行が求められる。
目先の判断ではなく先を読む能力が必要とされる。

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負けても勝つ!

徳川家康

人はだれしも、
 自分の惨めな姿はさらけだしたくない。


勝ったことはいつまでも語るが、負けたことは語りたく
ない。
これが人の心理である。
しかし、ここには天下人の負け姿がある。

徳川家康

家康が生涯唯一敗れた三方ヶ原での負け姿である。

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歴史を動かした「文」

細川幽斎

 「古今伝授


時代を分ける戦の勝敗には、武の理論だけでは解決の
つかないことがある。長い伝統に培われた、

 人から人へと受け継がれる「文化」の重み

であり、そのために命を投げ出すこといとわない、底知れない
エネルギーが勝敗を決める。

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百年の恋、千年の旅

能因法師

 難波潟 みじかき葦の ふしのまも
    あはでこの世を すぐしてよとや

                            伊勢

能因は、百年以上も昔の女に徹底的にあくがれた
「あこがれ」は、いつかあきる。
「あきない」徹底的な惚れこみようが、「あくがれる」である。

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人、無垢から無我へ

良寛禅師

 こどもらと
  てまりつきつつ この里に
    遊ぶ春日は くれずともよし

優游(ゆうゆう) 復(また) 優游
不安とか恐怖といった心を滅し、先々を憂えるのではなく
今ここに」を大切に生きる心境である。

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こころ根づくり-第一条

水に勢いがあれば石でも浮かぶ

如何なるときにも、私たちは勢いを失ってはならない。
「死(し)」という言葉は、もともと大和の国にはなかった。
「生(い)きる」しかなかったのである。

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こころ根づくり-第二条

中心に身を運べ

状況を把握するという意味は、
身をどこに置いて考えるかによって
初めて可能になることを知るべきである。

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こころ根づくり-第三条

五感を研ぎ澄ませよ

よく、でかぎわけ、を見開き、を澄まし、を使い、
自らので仕事にする! 粉骨、心を打つ!
骨身を惜しまず力の限り努力をすることは、己の心を
鍛えることである。

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こころ根づくり-第四条

動きすぎるな、要所を掴め(つかめ)!

周りに動きを悟られぬように・・・・・・。
大騒ぎして、結果をたいして出せなければ信用を失い、
存在感もなくなる。

要所要所をキッチリ押さえていくことが勝者の掟である。

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こころ根づくり-第五条

男は約束を守る

男は、誠実でなければいけない。
沸き立つ情熱高き志を持たなければいけない。
そして、それらを維持する強い心を持たなければいけない。

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こころ根づくり-第六条

日が昇る前!

日が昇ってからでは、後れる(おくれる)。
やまと人は、潜在的に朝日の力をもらえる力を持っている。
昇る力である。

おはよう! もう、朝だぞ!
起きただけではダメ!
自分が起きただけでは、事は起きない!
敵が寝ているうちに一仕事!
日に日に、他人のできない事々をやり、積み上げていく!

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こころ根づくり-第七条

時の心構え

戦国時代に戦い抜いたもののふには、心構えがあった。

 怠らず
   行かば千里の 果ても見む
      牛の歩みの よし遅くとも


勝敗は、時の運・・・・・・と心得た苦労人・家康であった。

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こころ根づくり-第八条

日本は大切

日本を大切にできるのは、日本人だけなのだ。
日本人日本をないがしろにすれば、
日本なんてなくなってしまう。
故郷ふるさと)がなくなってしまうのである。

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こころ根づくり-第九条

時の価値

過去に使った時間を絶対に無駄にしてはいけない。
相手を徹底的に動かす、
自分の魅力を磨く機会にするのである。

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こころ根づくり-第十条

勝機を知る

運は、呼び込むもの。
自ら動き攻めるものに、勝機は訪れる。
負けるというのは、必然! 勝ちは、偶然!

この偶然を我がものとするために構えが必要なのである。
達人はこの構えを決して人に見せず、悟られない!
これが、兵法の極意である。

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こころ根づくり-第十一条

やるせない想い

鹿児島県知覧町の「惜念の館」には、
特攻隊員の辞世の句・手紙が展示されているが、
若者に頑なに信じこませた『お国のため・・・・・・』、
私には何ともやりきれないものがある。

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こころ根づくり-第十二条

指示待つバカモノ

天下人には有能な側近がたくさんいた。
だから軍令など不要であった。

軍令
必要なのは、現場の戦士が無能だからである。

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こころ根づくり-第十三条

せまるるちから

無限の勢いは、迫る力が素(もと)!

迫りくるもの
を感じるという力は、予兆きざし)を感じる力
である。見えない力を見る目をもつ修行である。

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こころ根づくり-第十四条

ねんごろに弔い(とむらい)通せ

慶長五年(1600)十月一日、
京都、六条河原で石田三成が処刑された。
沢庵は、斬首となった三成の最後をしかと見届けた。

落とされた三成の首は、十月一日から三日間、三条戻り橋の
袂に晒された。後に亡骸(なきがら)を丁重に収め持ち帰った
者がいた。当時二十八歳の沢庵宗彭(そうほう)であった。

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こころ根づくり-第十五条

勝者の教え

夜が明けると朝がくる。冬が去れば春がくる。
また、水は高いところから低いところに流れるように、
自然(あめつち)は、この定められた『あたりまえ』で
営まれている。

この『あたりまえ』をしっかりとらえ、活用した者が勝者となる。

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こころ根づくり-第十六条

目からヒカリ

清水の次郎長山岡鉄舟に問うた。
「あっしが、 『この野郎』 とにらみつけるとなぜ相手が
すくむんでしょう」
それはおまえの目からヒカリが出るからだよ

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こころ根づくり-第十七条

なんら、変わらないこと

 晴れてよし
   曇りてもよし 富士の山
      もとの姿は 変わらざりけり

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こころ根づくり-第十八条

英米諸国人に告げる

今や諸君は勝者である。我が邦は敗者である。
この深刻な事実は私は固(もと)より、これを認めるに
やぶさかではない。

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こころ根づくり-第十九条

龍・虎の義

上杉謙信越後の龍武田信玄甲斐の虎と呼ばれた。
実践に裏づけされた戦国武将である。
二人は天下統一を目指した。
隣国に、同じ時代に存立してしまった不幸。
天才と天才の、結びつきではなく争いとなってしまった。

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こころ根づくり-第二十条

三菱道場『寂然不動(じゃくねんふどう)』の扁額

学生のころから稽古に励み、慣れ親しんだその道場は、
もうない。道場には、大きな扁額がかかっており、
寂然不動』と書かれていた。

寂然不動」---寂然として動ぜず

寂然」というのは、己を忘却させて自然と一つにさせ、心が
静かに澄みきって何事にも動ぜず、たじろがらないことをいう。
日常において、この「寂然」として「不動」の生きざまををもって
生き抜ければ、迷いは生じない。

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こころ根づくり-第二十一条

あなたの「ち・から」物語を

自分が自分で自分すること

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